2026/06/10
その時代にしか描けないものを描く 福田美蘭
愛知県美術館 収蔵作家インタビュー
聞き手/愛知県美術館 主任専門員 深山孝彰 撮影/浅野杏子
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1995年、想像力を超えてきた現実
──福田さんの作品は、社会的な出来事や美術史、過去の名作などをご自身なりに解釈しながら制作されてきたように感じます。愛知県美術館が2023年に収蔵した2作品からも、その姿勢がうかがえます。まずは《高きやに 登りてみれば》(1995年)の制作背景からお聞かせください。
福田 この作品では仁徳天皇の和歌の「高き屋に登りて見れば煙たつ民のかまどはにぎはひにけり」を題材にしています。歌に見られるような民の営みを見守る視点や穏やかな時間の感覚を木版画のような静的な画面として描き、一方で画面には異質な要素が入り込みながらも、描かれた人物たちはそれに気づいていない。上空からの爆撃を思わせるアニメーション的な表現は、欧米など外部から流入してくる現代の文化や状況を象徴しています。動かない木版的な表現と、動きを想起させるアニメーション的なイメージを対置することで、異なるフェーズの現実が同時に存在する状態を示そうとしました。

《高きやに 登りてみれば》1995年 愛知県美術館蔵

東京都美術館「福田美蘭展」(2013年)図録
──「流入してくる欧米文化」というご説明でしたが、この絵を描かれた1995年には阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件が起きていて、それも制作の契機かと推測しているのですが。
福田 おっしゃる通りですね。私は「美術品には、その年でなければ生まれないものがある」と思っていて、大震災やサリン事件は私の想像を超えて起こった現実で、想像の中で制作していたはずの自分にとって、それを無視することはできなかった。ただ、私は自分を社会派だとは思っていません。直接それらを生々しく表現するのではなく、絵画の中の問題として考えたときに木版とアニメーションの対比のようなかたちが浮かんできました。また、この年は『新世紀エヴァンゲリオン』が社会的な広がりを見せ、ファインアートよりもアニメーションが商業的にも大きな存在感を持ち始めた実感がありました。その感覚が、結果的に表現の中に入り込んでいったのかもしれません。

《扇面流図》2007年 愛知県美術館蔵
一過性の広告にも雅な流れがある
──《扇面流図》(2007年)は、江戸時代の絵画様式である「扇面流図」から着想を得たもので、背景の波は17世紀の俵屋宗達派による作品からとられています。この作品では扇子の代わりに、2007年の夏に福田さん自らが街で配られていた団扇(うちわ)を集め、実際に貼り付けて制作されたそうですね。
福田 当時は夏に歌舞伎町とかに行って一周すると、キャバクラやインターネット回線、旅行会社、マンガ喫茶なんかの団扇が10枚くらい集まったんですよ(笑)。きっと何十年後にはもう古い広告になるということは重々承知で、そこが重要だと思って作りました。宗達派にも古典を古いものにしないで、そこから新しいものを生み出していく流れがありました。宗達は実際に使われていた扇面を剥がして画面に貼っていたので、それを引用して現代の広告を使ってみたという感じです。
──現代ではこういった広告も少なくなり、世相を反映した作品ともいえます。
福田 だから一過性というか、この時代の広告もいずれは流れてなくなっていく。その感覚はすごく入っていて、宗達派の考え方とも合致する部分があると思います。宗達派における「本歌取り」は、過去の名作を土台にしながら、その時代の精神を入れることで新しい美として再生していくものなんです。江戸の人たちだったら、源氏物語のようなモチーフから雅な平安文化の懐かしさを感じとり、それを題材に当時の感覚で読み替えていたと思うんです。それと同じように、現代を広告みたいなものから読み取ることができる。宣伝というのも一つのコードであって、それを使って現代的なかたちにすることをやろうとしていました。
──福田さんはこれまでにも東西の名画を引用されてきましたが、それはいつ頃からですか。
福田 美術館で個展のお話をいただくようになってからですね。若い頃に安井賞を受賞してから、デジタルアートを使ったプロジェクトだったり、伝統工芸の職人さんとコラボレーションしたり、新聞の挿絵の依頼など、その時々で全く違うものが入ってきて。それにずっと応えてきて、今日まで鍛えられてきた感じはありますね。

過去に開催された展覧会図録
──社会的な出来事で、最近ご関心をもたれているものはありますか?
福田 信州小布施 北斎館での企画展「北斎vs福田美蘭 小布施へのメッセージ」(*)で、AIを取り入れました。北斎の菊の絵をAIに「枯らしてください」と指示して作った下絵、北斎のオリジナル、AIの下絵をもとに制作した自分の作品を並べて展示しています。「これっていいんですか?」という、私なりの問いかけでもあります。例えば、私の作品では名画を別の角度から描いた作品がありますが、それは自分のためにやっているようなものなんです。モナリザが横たわったら、もう少しおでこが広いんじゃないか、実は太っているんじゃないかって納得しながら筆を置いていく。絵画というのは体を使って理解していくことが重要です。太古の昔から、頭で考えるだけじゃなくて、手から出てくるもので考えてきたわけですから。だからこそ、今はAIの時代になったけれど、身体性はますます重要になっていくと思います。ただ、 美術においては、作者のものの見方や考え方を伝えることができるかどうかが大切。それは目には見えないものですが、それを伝えることができれば作品は美術になるし、伝わらなければ物質でしかない。私はそう思っています。
(*)会期2026年4月11日(土)〜6月7日(日)

名古屋市美術館「開館35 周年記念 福田美蘭―美術って、なに?」(2023年)図録
──福田さんの絵は最初にイメージを感じて、でも近づいてみると、こんな風になっているんだという驚きがあります。
福田 技術を使わないと表現はできないけど、その技術を見せるのではなくて、それで何を伝えたいかが明確であることが重要なんです。私は「表現がその時々で違って、同じ作者じゃないみたい」と言われることがありますが、それでいい。作者の名前よりもまず作品があって、それが良ければ一番理想だなって思います。

愛知県美術館で2026年4月24日(金)〜6月21日(日)まで開催中の「2026年度第1期コレクション展」で、2作品を展示している。「美術家は自分が納得する作品を作り、それを広めるのは学芸員です。どういう風に世の中の人とリンクしていくかを自分の中で考えています」と福田(右)。愛知県美術館 深山主任専門員(左)とともに。
福田美蘭
FUKUDA Miran
1963年東京都生まれ、同地在住。グラフィックデザイナーの福田繁雄を父に、童画家の林義雄を祖父に持つ。東京藝術大学美術学部絵画科油画を卒業後、同大学大学院修士課程を修了。89年、第32回安井賞を史上最年少で受賞。以降、美術館の所蔵作品や歴史的な図像、社会的な出来事などを手がかりに、絵画の枠組みそのものを問い直す作品を制作。国立国際美術館、東京都美術館、千葉市美術館、名古屋市美術館などで個展を開催。
文/恩田栄佑 編集/村瀬実希(MAISONETTE Inc.)
『AAC Journal』by 愛知芸術文化センター vol.128 より
※ 掲載内容は2026年5月19日(火)現在のものです。









