2026/09/02

土に関わる 秋山陽 
愛知県美術館 収蔵作家インタビュー

聞き手/愛知県美術館 企画普及課長 副田一穂、愛知県陶磁美術館学芸員 入澤聖明 撮影/千葉亜津子

偶然に近いかたちで始まった
紆余曲折のやきものづくり

──大学で陶芸の道に入られたきっかけは何でしたか。(入澤)

秋山 「美術に関わる何かをやりたい」と、美術大学を志したわけですけど、具体的に何がしたいかはなかったんです。大学も学費や受験倍率などの現実的な理由で選び、平面より立体かな、という程度でした。陶磁器専攻には八木一夫先生、藤平伸先生などがいらっしゃって、クラフトもあれば、オブジェ的な作品もある。彫刻専攻には辻晉堂先生がいらっしゃいました。先輩の中には、金属のメッシュで成形して土を塗り込み、さまざまな温度帯で焼成するという制作をされていた吉武賢さんもいらっしゃいました。当時としてはとても新しい表現でした。1970年代前半の大学で幅広いアプローチやさまざまな素材による表現に触れ、「何かできることがありそうだな」と思って陶芸を選びました。

 

──器ではなく、いろいろな表現ができるものとしての陶芸なのですね。(入澤)

秋山 私には、器に関心を持つ経験は特にありませんでした。陶芸の基礎的な技法の訓練も、「やる意味があるのだろうか」と思っていましたが、ろくろだけは面白かったですね。一つの対象をさまざまな角度から眺めるために歩き回るのではなく、ろくろは自分の位置は一定で、相手が回転していく。その後の制作に直接つながっていくわけではありませんが、回転する存在に関心を持つようになったのは、ろくろの経験から端を発しているのかもしれません。

 

──大学卒業後、広島の知的障がい児施設で働き、子どもたちの土の扱い方にもインスピレーションを得られたそうですね。(副田)

秋山 就職の経緯は、八木一夫先生が若い頃にそのような施設で指導されていたという影響もありますが、大学とは違う世界を見てみたいという気持ちもありました。 当時参加していた走泥社(*)のメンバーは、 陶業を家業とされる方がほとんどでしたが、自分には全く縁がなくて、あらゆる点で行き詰まっていたというか。「もう、やきものはやめようかな」という気持ちもあって、別業種の紹介された仕事に就きました。施設ではやきものの時間があり、「経験者だから」と任されましたが、重度の障がいのある子どもたちに授産を目的とするものつくりをさせることは難しい。そこで、土と戯れて遊ぶ時間にしたら、子どもたちの土との関わり方は、私が学んできたものとは全く違って、とても刺激的でした。そこで、「一旦離れたやきものにもう一度関わるとしたら、これまでやってきたことを忘れて、一から自分なりのアプローチを見つけなきゃいけない」という考えになり、いろいろな土の実験を始める過程で、今につながることを少しずつ見出していったという感じです。

(*)1948年に京都で八木一夫、鈴木治、山田光らが結成した前衛陶芸家集団。器としての用途や伝統的な形式にとらわれず、陶による造形表現を追求し、戦後日本の陶芸に新たな方向性を切り開いた。

 

 

物質の現象×人為的な痕跡
土と時間をかたちに

──施設での経験を経て、ご自身の制作はどのように変わっていったのでしょうか。(副田)

秋山 例えば、子どもはきれいな土のお団子ができて喜べるかもしれませんが、自分はそれでは満足できない。「土に何らかのかたちを与えることの切実な根拠とは何だろう」と途方に暮れてしまったわけです。そのときに、たまたまみかんをいただいたんです。ゴロンとした重さや湿気を感じて、「みかんみたいに粘土の皮をむけないだろうか」と思い、実際にやってみることにしました。むける状態にするためにバーナーの炎を当ててみると、表面が硬くなると同時に収縮して亀裂が現れるわけです。それが人が描く線とは違う、不思議で神秘的なものに見えました。それまでただの粘土だったものが、初めて性格というか、魅力を持つように感じられました。度合いはさまざまですが、素材そのものが発してくるものと、自分の中の意識みたいなところが交わり、溶け合い、あるいは対立する。その両方が見えるようなかたちにしたいという思いは、今でもずっと自分の中にあります。

 

《Pho Ⅱ》1990年 愛知県美術館蔵

《Pho Ⅱ》1990年 愛知県美術館蔵(部分)

 

──身体のスケールよりもっと大きな作品から、広い意味での「土に関わる」ということを感じます。(入澤)

秋山 大学では、先生も先輩も「粘土」ではなく、「土」と呼んでいたことが新鮮に感じられました。土に関わるということは、自分の足元にずっと広がっているものに関わることなんだな、と自然に思えるようになってきたんですよね。一方で、「やきものって何だろう」と。土に人為的に手を加え、焼いて化学的に変化させる。それを便宜的な保存のためという受け入れ方ではなく、ポジティブに捉えるまでには、すごく時間がかかりました。今思うのは、地球上では土が岩になり、岩がまた土になるということが、ゆっくり時間をかけて進行していますよね。人為的に時間を圧縮することに意味があるとすれば、それが土をやきものにすることなのだろうと、徐々に思うようになってきました。

 

《準平源921》1992年 愛知県陶磁美術館蔵

 

《準平源921》1992年 愛知県陶磁美術館蔵(部分)

──ひび割れたパーツも、《準平源921》は球体に沿ったようなカーブを描き、 《Pho Ⅱ》は外側に反っていて、表情が違いますね。それぞれどんな発想から制作されたのでしょうか。(副田)

秋山 《準平源921》 は、円すいの立体物を作って、その表面をバーナーで炙り、ある部分を切り開いています。みかんの皮をむく発想と同様ですね。亀裂の入った面を型に沿うように配置し、その内側を補強しました。《Pho Ⅱ》は、立体物につきものの作品の底面と床などとの関係を検討することから始まり、ワイヤーで吊るしています。民俗学の本によると、ブータンでは家を新築するときに軒先にペニス型の木製品を吊り下げ、それを上下させる慣わしがあるそうです。天と地を意識して往還するものとして、実際に存在していることがとても面白いと思ったんです。天への力と、重力によって地球へ引かれる力。その両者を一つのかたちの中に表せないだろうかと考えました。ワイヤーで吊るす展示効果を超えて、はるかに大きなテーマにつながる作品になりました。どのように見えるかは、いろいろあって良いと思います。

 

取材は、愛知県美術館と愛知県陶磁美術館の地方独立行政法人化を記念し、両館のコレクションを取り合わせた企画「コレクション、往来!」にて実施(会期終了)。 左から、入澤、副田、秋山。

 

秋山陽

AKIYAMA Yo

1953年山口県生まれ。78年京都市立芸術大学陶磁器専攻科修了。初期より黒陶を用いた作品で、現代陶芸を牽引する。現在は、焼成によって現れた動的な土の質感を引き出しつつ、 本焼きの後に鉄粉を施して錆びさせる手法で作品を制作。一貫して、自然と人工、生成と崩壊、 内部と外部といった関係性を意識し、土と自らの創意との融合を試みている。2018年まで京都市立芸術大学で教鞭を執って後進を指導。

 

編集・文/村瀬実希(MAISONETTE Inc.)
『AAC Journal』by 愛知芸術文化センター vol.129 より
※ 掲載内容は2026年8月18日(火)現在のものです。

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