
2025/02/28
演奏家・小森谷巧さんとめぐる音楽と美術「パウル・クレー展 ── 創造をめぐる星座」
日本の人々に長年愛され、これまでにも数多くの展覧会が開催されてきたスイス生まれの画家パウル・クレー。愛知県美術館では、約30年ぶりとなる大規模な回顧展「パウル・クレー展 ── 創造をめぐる星座」を2025年3月16日(日)まで開催中です。
父が音楽教師、母が歌手という環境で育ったクレーは、幼少期からヴァイオリンを始め、友人たちと集まって演奏する音楽活動を生涯の趣味としていました。彼は、音楽家・画家・詩人という3つの夢を抱き、そのなかで最も可能性を感じた美術の道へ進みます。その作品には、音楽的なリズムやポリフォニー(多声音楽)の構造が結びつき、色彩豊かで独特な世界観が表れています。今回は、「音楽と美術」という時代を超えたつながりをテーマに、愛知にゆかりのある演奏家の小森谷巧さん(愛知室内オーケストラ ソロ・コンサートマスター兼アーティスティック・パートナー、ヴァイオリン奏者)をゲストに迎えて、展覧会レポートをお届けします。本展を担当した黒田和士学芸員によるガイドとともにクレーの作品を鑑賞し、その魅力を味わいましょう。
ゲスト:愛知室内オーケストラ ソロ・コンサートマスター兼アーティスティック・パートナー、ヴァイオリン奏者の小森谷巧さん
©T-TOC RECORDS
小森谷巧
Takumi Komoriya
両親に手ほどきを受け、桐朋学園音楽科ソリストディプロマを経て、ウィーン国立音大へ留学。その後、英国を中心に欧州で活躍する。英国王立音楽院の演奏ディプロマを首席で獲得し、帰国。1987年~東京交響楽団、1999年~2023年まで読売日本交響楽団のコンサートマスターを歴任。23年4月より、愛知室内オーケストラ ソロ・コンサートマスター兼アーティスティック・パートナー。ソリストとしては、東京を中心に定期的に行うリサイタルでは常に高い評価を得ていて、近年は指揮者としても古典派の作品を中心に演奏活動をしている。
「パウル・クレーに親近感を抱くというのはおこがましいのですが、妻がピアニストという点も私とクレーの共通点なので、どこか自分と重なるような気がします」と小森谷さん。「父は歌手、母と兄はピアニストという家庭で育ち、私は3歳からヴァイオリンを始めました。クラシック音楽を演奏するときは、いつも自分のなかで映像や色を自由にイメージしながら音を作るタイプです。絵も大好きで、海外で暮らしていたときは美術館によく足を運びましたし、不調なときに絵を描くことが慰めにもなりました。素晴らしい音楽や絵に触れることで、心が整理され、次の日に向かうエネルギーが生まれるのを感じます。美術には詳しくありませんが、このような機会に関われてとても幸せです」と話します。
美術館に入場する前に黒田学芸員が紹介したのは、クレーがバウハウスで教師をしていた際の資料。クレーは、色彩や線描に関する独自の理論を展開し、絵画を抽象化する手法として音楽を用いていたとされています。その資料を見た小森谷さんの解釈から新たな発見も生まれ、クレーの人物像への興味がさらに深まります。
では、早速行ってみましょう!
- 目次 -
「パウル・クレー展 ── 創造をめぐる星座」 演奏家×学芸員の鑑賞トークの掛け合いから、画家の個性が音楽とともに浮かび上がる
本展では、スイスのパウル・クレー・センターとの学術協力のもと、クレーと交流のあった芸術家の作品との比較や、当時の貴重な資料の参照を通じて、多くの人や情報が構成する星座=コンステレーションのなかでクレーを捉え直し、その生涯にわたる創造の軌跡をたどります。展示作品は約100点のうち、クレーの作品が6割、他の作家の作品が4割程度。クレーの作品とともに、関連する同時代の作家の作品を展示しているのが特徴的です。クレーは20世紀前半の孤高の画家として、これまで他の芸術家との関係があまり語られてこなかったため、本展では同時代の前衛芸術家と関わり、互いに影響し合っていたことを見せています。
第1章 詩と絵画
若い頃から晩年まで、全6章の構成となっています。「クレーは生涯を通じて試行を重ね、決まったスタイルを持たず、常にさまざまな手法を並行して用いていました」と黒田学芸員が語るように、作品の多様性も見どころの一つです。独特な色彩表現で知られるクレーですが、若い頃にはいろいろな実験をしています。モノクロカメラを使い始めた当初は、あえて色を使わず、白と黒の世界で絵のなかに光を感じさせる表現を追求していました。
(左より)パウル・クレー《老いたる不死鳥 〈インヴェンション〉より》1905年 宮城県美術館、パウル・クレー《喜劇役者 〈インヴェンション〉より》1904年 愛知県美術館、パウル・クレー《樹上の処女 〈インヴェンション〉より》1903年 町田市立国際版画美術館
黒田 クレーはすごくマメな人で、生涯を通じて約9,000点にものぼる全作品のリストを作り、作品番号や制作方法を細かく記していました。
小森谷 クレーの作品には鳥が多く登場しますよね。彼にとって、鳥とはどのような存在なのでしょう?
黒田 いろいろな意味が込められていますが、クレーがよく語っていたのは「芸術制作は人間から神様に近づく行為」だという考えです。神に向かって飛んでいける鳥は芸術家の比喩でもあります。だいたい鳥が落ちたり怪我したりしているのは、毎回失敗するということ。しかし、それが大事なことであり、失敗しても神の世界に行こうとするのが芸術家の使命だと言います。苦しい人生ですよね。
第2章 ⾊彩の発見
1914年の春、線描を主な表現手段としてきたクレーは、友人の画家ルイ・モワイエとアウグスト・マッケとともに訪れたチュニジアにおいて、色彩豊かな作品を描き始めます。クレーが滞在中の日記に書き残した「色彩が私を捉えたのだ」という言葉は、この旅行が彼にとって重要な転回点となったことを示しています。
ジャコモ・バッラ《太陽の前を通過する水星のための習作》1914年 愛知県美術館
パウル・クレー《チュニスの赤い家と黄色い家》1914年 パウル・クレー・センター
黒田 クレーは同じく同時代のフランス美術に関心を持っていたモワイエとマッケとともに、当時フランス領だったチュニジアへ旅行しました。現地で制作された風景画には、パリのキュビスムの芸術家ロベール・ドローネーなどの影響が認められます。クレーは、ドローネーの《街の窓》という作品の「バッハのフーガ」を思わせるような音楽的な抽象性を賞賛していました。
小森谷 クレーはいろいろな人から吸収しようとしていたんですね。
ロベール・ドローネー《街の窓(第1パート、第2モティーフ)》1912年 ⽯橋財団アーティゾン美術館
第3章 破壊と希望
クレーがチュニジアの旅行から戻って間もなく、1914年の夏に第一次世界大戦が始まり、ヨーロッパは戦争の暗い世界へ。マッケなどクレーの画家の友人たちの一部は志願兵となり、戦死していきました。1916年3月、クレーも徴兵を受けて従軍します。
パウル・クレー《深刻な運命の前兆》1914年 パウル・クレー・センター
黒田 クレーは戦争というテーマから目を背けることはできないけれど、それを直接描きたくはない。そんな葛藤と戦い続けているんです。《深刻な運命の前兆》は、もともとは1枚だった画面を複数に切断し、そのうちのふたつを上下の関係を逆転させて再構成した作品です。一度は描いた戦争の場面を、クレーは切断して再構成することで抽象化してしまったのです。
小森谷 クレーのメッセージですね。芸術家にとって、いつの時代でも戦争は避けられないものであり、悲劇的なことが起こると立ち上がらなくてはいけないと思ってやってきたのだと思います。それを作品としてどのように表現するかは一人ひとり違うでしょうけど、難しいですよね。
黒田 クレーは「この世界が恐怖に満ちていればいるほど、芸術は抽象的になる」と語り、実際に彼の作品には抽象的な表現が増えていきました。目の前の現実があまりにも恐ろしく、そのまま描くことができなかったのです。いかにも戦争という風景を描くようになったのは1920年以降の戦後でした。
(左より)パウル・クレー《アフロディテの解剖学》1915年 宮城県美術館、パウル・クレー《紫と黄色の運命の響きと二つの球》1916年 宮城県美術館
従軍中のクレー(写真中央)は不良少年のようにおでこを出して帽子を浅くかぶり、戦争に対するささやかな抵抗がうかがえます。
第4章 シュルレアリスム
第⼀次世界⼤戦後のフランスにおいて、シュルレアリスムの詩⼈や芸術家たちは、イマジネーションが内側から溢れ出すようなクレーの作品に着⽬していきました。クレーは自らその活動に積極的に加わることはありませんでしたが、彼の作品はシュルレアリストたちとの接近を物語っています。
小森谷 世の中が大きく動くなかで「みんなが変わったから自分も変わらなくちゃ」と流されず、マイペースに研究と手法をやっていくのがクレーの素敵なところですね。
黒田 自分を持ちつつ、ほしいところだけを取るのがクレーのスタイル。シュルレアリスムの必要なところだけを受容して、自分は参加しないという距離感でした。
(左より)パウル・クレー《帽子をかぶった婦人(青い眼をした黄色の)》1919年 メナード美術館、《首を掲げている婦人(オレンジと黄色)》1919年 メトロポリタン美術館
「これ、いいですね」と小森谷さんが反応した、クレーの《帽子をかぶった婦人(青い眼をした黄色の)》。対になる作品《首を掲げている婦人(オレンジと黄色)》を掲載している展覧会公式カタログを片手に、クレーが主題としてきた性欲の抑圧と解放を見比べます。
パウル・クレー《周辺に》1930年 バーゼル美術館
黒田 クレーが自然を描いた絵です。具体的な種の植物ではなく、太陽に向かって長く伸びる、おしべを出して交配しようとするといういろいろな「機能」を象徴する自然のモチーフを入れています。熱心に植物のことを学ぶことは、「神様が作った世界創造に自分が近づくんだ」という大きな目標のためです。
小森谷 見ると元気が出て、大好きな作品です。
太陽がちょっと上にある配置がいいですね。撮影してもいいですか?
黒田 どうぞ。この作品はスイス・バーゼル市立美術館からお借りして、日本の美術館で公開するのは初めてです。
第5章 バウハウス
1921年、クレーはドイツのヴァイマルに設⽴された造形学校「バウハウス」からの招聘を受けて、教育を担う中⼼的な存在である「マイスター」に就任しました。クレーの作品は⾊彩をその駆動⼒としながら、さまざまな展開を⾒せていきます。
(左より)パウル・クレー《「岩塊の風景」(シュロとモミの樹のある)》、《窓のあるコンポジション》いずれも1919年 パウル・クレー・センター
黒田 クレーの絵の作り方は、全体を一気に仕上げるのではなく、線が旅をするように画面を進んでいくのが特徴です。もしかすると、旋律が重なり合う感覚に近いかもしれません。クレーの制作には、時間の積み重ねがあるんですね。まるで端から少しずつ進んでいくような、そんなプロセスを感じます。
小森谷 フーガの掛け合いとちょっと似ていますね。クレーの頭のなかにはいつもバッハがあったと思います。
黒田 ジグザグに進んでいく2本の線が掛け合い、面ができたところに色が塗られていくと考えると、イメージしやすいですね。クレーをはじめ、バウハウスでは「結晶化」が重要なキーワードの一つでした。それは、単純な正方形や長方形といった幾何学的な法則に従うのではなく、結晶のようにある種の有機性を持った独自の法則に基づき、芸術作品も必然的に形を成していかなければならないということかなと思います。
(上左より)ヨハネス・イッテン《コンポジション》、《少女》、《チロル風景》いずれも1919年 宇都宮美術館
(下左より)ヨハネス・イッテン《コンポジション》、《老女》いずれも1919年 宇都宮美術館
「楽器やト音記号が入っているような音楽を感じる作品ですね」と小森谷さんが話す作品のうち、2点のタイトルは《コンポジション》。構図、作曲のどちらの意味でも取れます。
小森谷 著名な音楽家のなかにも、「自分のため」や「お金のため」など、さまざまな目的で作品をつくる人がいますが、クレーはどうだったのでしょう? 彼なら庶民に受けるような絵も描けたはずですが、これまで見てきた作品のなかには、お金のために描かれたようなものは見当たりませんでした。やはり、彼にとっては「神様に近づくこと」が創作の目的なのでしょうね。
黒田 クレーは絵が売れると喜び、そのことを日記にも記録しています。彼の独特な点は、自分の作品に販売額に応じてランク付けをしていたことです。描いた絵を売ることは、クレーにとって画家としての活動の一部でしたが、意識的に売れそうな絵を描くということはあまりなかっただろうと思います。
パウル・クレー《女の館》1921年 愛知県美術館
黒田 クレーと音楽を結びつける作品なんじゃないかなと思います。中央に開かれた幕がある。そして、波打つ水平線が点線で描いてあって、それに沿うように木が点在していますが、これらの木々は五線譜のうえの音符のようにも見えます。
小森谷 僕には4分音符にしか見えないです。《女の館》というタイトルだから、幕のなかがちょっと暗くて、神秘的な女性歌手がこれから飛び出してくるような一場面を想像させます。
黒田 複雑な絵ですよね。庭や建物、ステージのいろいろなイメージが重なっているように見えます。
パウル・クレー《ある音楽家のための楽譜》1924年 広島県立美術館
黒田 言うまでもなく楽譜なんですけど、読めない楽譜です(笑)。
小森谷 制作年とウィーンの音楽を照らし合わせてみると、ちょうどマーラーからシェーンベルクへと移り変わる時期にあたります。今までの五線譜に音符を記すという手法が崩れ、新時代の扉が開きました。8分音符や16分音符といった従来のリズムではなく、曲線の細かさによって、自分で演奏の速さを判断するという風潮が広がり始めたのです。クレーも、その変化を肌で感じていたのかもしれませんね。
黒田 今回の出品作ではありませんが、《苦境のピアニスト》(個人蔵、パウル・クレー・センター寄託)という絵があって、めちゃくちゃな楽譜を前に苦しんでいるシーンを描いています。クレーは同時代の音楽家のことも知っていたと思います。
パウル・クレー《ある音楽家のための楽譜》1924年 広島県立美術館
パウル・クレー《都市の境界》1926年 宇都宮美術館
パウル・クレー《大聖堂(東方風の)》1932年 アサヒグループ 大山崎山荘美術館
黒田 バウハウスの終盤、1930年前後にクレーが多く描いていた点描の作品では、意識的に連続するリズムが作られています。また、視線を向ける位置によって、面が手前に浮き出たり、奥に引っ込んだりして見える図形も、クレーは「ポリフォニック」だと表現しています。異なる旋律が重なり合いながら見え隠れするように、作品を聴く人・観る人によって、意識の向け方によって、感じ方が変わる。その点が、音楽と線のポリフォニー(多声音楽)が共通している部分なのかもしれません。
小森谷 《島》(1932年 ⽯橋財団アーティゾン美術館)は遠くで目を細めてみると、すごく立体的に見えますね。
黒田 見るポイントが絞られるので、線の構造が立体として把握しやすくなるのだと思います。
小森谷 音楽を聴くときも、頭のなかでじっくりと集中して聴くのと、全身で浴びるように響きの心地よさを味わうのとでは、まったく感覚が違います。僕は絵を観るときも同じように、距離を変えてみたり、目を細めてみたりしながら楽しんでいます。
第6章 新たな始まり
1933年、ドイツでアドルフ・ヒトラーが首相に就任すると、前衛芸術は退廃芸術として排斥され、クレーもドイツでの活動が困難になり、スイスへ亡命します。この頃の作品は、それまでのものとは大きく異なり、クレーにもたらされた悲劇を反映した、より具体的な表現へと変化していきました。
(左より)パウル・クレー《回心した女の堕落》1939年 愛知県美術館、パウル・クレー《恐怖の発作 Ⅲ》1939年 パウル・クレー・センター
黒田 1940年にクレーが亡くなる原因となった病気は、その5年前に発症しており、この頃の作品には身体の苦痛を感じさせる表現が見られます。一方で、それらの作品は「人間をどこまで崩したら認識できなくなるのだろうか」という実験的な試みのようにも見えます。晩年のクレーはイメージが何か意味する際のプロセスやメカニズムに関心を集中させていったようです。
小森谷 これは音楽家にも共通することですが、作曲家は病気になったり、自らの死期を感じたり、あるいは戦争という極限の境地に置かれたりしたときに、とてつもない曲を書いているんですよね。幸せなときに生まれる曲も良いものですが、死を前にして書かれた曲には、また別の圧倒的な力が感じられます。今までにはなかった旋律が生まれたり、作風が大きく変化したりすることもあります。
黒田 今までとは異なる表現が魅力的で、作品の点数も増え、クレーの創作意欲が尽きることはなかったのだと感じます。展示の最後の作品は、あえてクレーではなく、ハンス(ジャン)・アルプの《コンステレーション》を選びました。同じようなパーツを使っていろいろなバージョンを作る、絶えず動き続けるレリーフ。その姿は、クレーの晩年の作品にも似ているところがあります。
小森谷 クレーの一生が一曲みたいになっていて、この章はクライマックスですね。
鑑賞を終えて
「やっぱり美術館は楽しいですね。僕は普段、美術館に行くと順路を間違えてしまうこともあるのですが(笑)、今日は初期の作品からバウハウス時代、死に向き合うときまで、物語のようにクレーの作品を見て感動しました。学芸員の黒田さんの解説も素晴らしく、僕のように絵に詳しくなくても、美術館を訪れることで元気をもらえるような気持ちになりました。今日はありがとうございました」と小森谷さん。芸術家ならではの視点で音楽のお話を交えながら、作品ごとに鑑賞・解説・対話・鑑賞を繰り返し、新たな発見が広がる時間になりました。ご来館ありがとうございました。
2025年1月18日(土)〜3月16日(日)
パウル・クレー展 ── 創造をめぐる星座
場所/愛知県美術館(愛知芸術文化センター10階)
時間/10:00~18:00
※金曜~20:00(入館は閉館の各30分前まで)
休館日/毎週月曜日(2月24日 [月・振休] は開館)、2月25日(火)
料金/ 一般1,800(1,600)円、高校・大学生1,200(1,000)円、中学生以下無料
※( )内は20名以上の団体料金
※本展会期中に限りコレクション展もご覧になれます。
Special thanks!!
愛知室内オーケストラ
2002年愛知県立芸術大学出身の若手演奏家を中心に発足。国内外で研鑽を積み、東海地域を中心に活躍する演奏家で構成されています。地域に根差した文化活動をポリシーとし、東海地域でプロフェッショナルとして活動する唯一の室内オーケストラ。子どもから大人まで楽しめるファミリーコンサートや学校でのアウトリーチ活動など、文化芸術体験の継続的な発展と向上に寄与しています。22年4月に山下一史が初代音楽監督に就任。2016年度名古屋市芸術奨励賞、2023年度愛知県芸術文化選奨文化新人賞受賞。
小森谷さんが出演される春の定期演奏会
場所/愛知県芸術劇場コンサートホール(愛知芸術文化センター4階)
2025/4/18(金)第86回定期演奏会
2025/5/23(金)第88回定期演奏会
Web https://ac-orchestra.com/
Instagram @aichi.chamber.orch
X @ac_orchestra
YouTube @AichiChamberOrchestra
INFORMATION
愛知4大オーケストラ・フェスティヴァル2025『ブラームス 交響曲全曲演奏会』を2025年8月31日(日)に開催。愛知室内オーケストラ、セントラル愛知交響楽団、中部フィルハーモニー交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団の愛知を拠点に活動する4団体が、愛知県芸術劇場コンサートホールに会するスペシャルコンサート。各音楽監督・芸術監督らとともにブラームスの交響曲全曲を演奏します。
場所/愛知県芸術劇場コンサートホール(愛知芸術文化センター4階)
チケット一般発売/2025年4月1日(火)10:00~
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パウル・クレー展の会期中、愛知県美術館 ミュージアムショップでは、パウル・クレー展をテーマにセレクトしたグッズがずらりと並びます。今回鑑賞した作品の一つ、愛知県美術館が所蔵するパウル・クレーの《女の館》をプリントしたトートバッグ(4,180円)は人気のアイテムです。「AACタイム」では「パウル・クレー展と合わせてチェックしたいアートグッズ8選 愛知県美術館 ミュージアムショップ」の記事も公開中なので、ぜひチェックしてください。
撮影・取材・文/村瀬実希(MAISONETTE Inc.)
※ 掲載内容は2025年2月21日(金)現在のものです。