2024/12/11

とるにたりないものはなし 小栗沙弥子 
愛知県美術館 収蔵作家インタビュー

聞き手/愛知県美術館 主任学芸員 塩津青夏 撮影/千葉亜津子 

芸大で日本画を学び
現代美術という新境地へ

──愛知県美術館は、これまでに小栗さんの作品20点を収蔵しました。現在の作風に至るまでに、愛知県立芸術大学で日本画、油画、版画を専攻し、さまざまな経験をされていますよね。現在の制作にもつながる、バックグラウンドからお聞かせください。

小栗 日本画の画材屋さんって基本的に静寂で、それがストレスでした。絵を描くまでに時間がかかり、油画の先生や友人と話す方が楽しかったから私には合ってないのかなと思い始めたのが大学3年生のころです。その翌年に横浜トリエンナーレが開催され、ボランティアに参加して「現代美術は魂の解放だ」と衝撃を受けました。日本画をやっている場合じゃないなと思って油画の友人に相談したら、版画の先生を紹介していただき、研究生として所属することに。コラージュを版とするコラグラフ版画は楽しかったのですが、プレス機のサイズの制約などもありましたし、版をそのまま見せた方が面白かったりして刷る必要がなくなってきました。素材はその辺にある日常のもので、ホームセンターでシャンプーと一緒に買うくらいがちょうどいいと、そのころから意識が変わったように思います。

 

取材は岐阜県のアトリエにて。

 

 

──芸大時代の課題などで、思い出深いことは何かありましたか。

小栗 「物言う事象」という課題で、学校にあるものを集めて小さいものから大きいものに並べたことは、違う筋肉を使ったみたいな感じでした。ゴミでちりとりを作ったら、講師の渡辺英司さんが褒めてくださったんですよ。言ってしまえばゴミ箱を裏返したようなもの。家で身の回りのものを使って作ることはあっても、それを公に出すのは初めてでした。この作品をきっかけに、私も美術をやっていけそうだと展望が見えたのはすごく大きかったです。

 

大学時代の課題で制作したちりとりの作品。

 

観る人なくして成立しない
不要なものから生まれる作品たち

──このようなコラージュの作品は他にもあって、収蔵作品の《渚》もそうですね。小栗さんは銀紙を使うことが多い印象ですが、いつからの取り組みでしょうか。

小栗 私はロッテの梅ガムが好きで(笑)、 銀紙に包まれているんですよ。そこには 「かんだ後は紙に包んでくずかごに捨てましょう」と注意書きがありますが、 仰々しく金箔を貼るよりも、捨てられる銀紙を使った方がきれいで面白い気がして、実験的試みで使ったのが最初。あいちトリエンナーレ2010の展示では、会場が昭和の趣の自然光が入る部屋だったので、壁一面を銀紙にしてみました。銀紙といっても色がまちまちで、順番に貼っていくと個体差があります。キャンバスや板などに貼ることもあります。最初からイメージや意図があるわけではなく、いろいろなものに貼ってみようかなと。

 

《渚》

 

──それを肩肘張らずに作られるなかで、行為の集積性みたいなものも最終的には感じられなくなっている気がします。何をもって作品として成立させようとしているのでしょう。

小栗 手に入るものをただ使うというか、制作するときは作品として成立させようという意識はそこまでないですね。いつも思うのは、私の作品は結果的に見たらみんな乾いていて、まるで煮干しやスルメのよう。最初から乾いた素材を選んでいるのもありますが、油絵のようなウェット感が一切なくて軽いです。それが不要とされるゴミが持っている特性なのかもしれません。作ったものを後から振り返ることもなければ執着心もない。劣化する素材ではあると思うんですけど、ものとしては劣化はしてない。劣化してからが本筋なんじゃないかな。私が、というよりも、観た人が価値を見出してくれるので、その瞬間に劣化ではなくなるように思います。 人々が発見するんだな、みなさんありがとうございますという気持ちです。

 

 

 

国境を越えて得られた多角的な視点と発見

──ここにたくさんある木枠のような作品、《飾り》はどのようにして生まれた作品ですか。

小栗 これらはタイに1年ほど滞在していたときに生まれた作品です。まちに落ちている不要なもので制作する予定でしたが、驚くほどきれいなまちで正直困りました。いいホームセンターにも出会えず、画材屋さんで手に入れた木枠を展示台の脚にしました。展覧会を終えたタイミングで彫ってみたら意外と良くて、それがのちに作品になったという経緯です。絵を描いている子にあげたら喜んでもらえて、ブラジルに行ったときには「腕みたいだ」と言われ、独特な感性で捉えてくれたことがうれしかったです。

 

アトリエの壁に並べられた《飾り》

 

──《地面を壁を歩く》という作品は、 日課の散歩から着想されたそうですね。

小栗 そうですね。これは版画をやっていたときにも言えることですが、歩きながら見える道や家、景色すべてが作品のはじまりになっています。《地面を壁を歩く》に関しては、ブラジル滞在中にタイトルをつけました。サンパウロのまちって碁盤目状ですが、高低差があるんです。すっと行けると思ったらものすごく時間がかかる。そんな予想外の出来事が多々あって、イメージした状態とのギャップが面白かったです。あるとき、位置情報を知るためにGoogleマップで調べたことで、上から俯瞰している状態に目を向けるように。視点が2つ以上になったことから《地面を壁を歩く》と名付けました。

 

《地面を壁を歩く》

 

《地面を壁を歩く》

 

小栗 多くの人は建物や部屋、間取りに見えるそうですが、まったくその意識はないですね。 鼻歌を歌いながら、テレビを見ながら作るくらいがちょうどいい。頑張ろうと力まないことが大事。キッチンで何かをつまみながら制作することもあり、 部屋のあちこちで作っています。

 

 

「自分の部屋を人に見せるのはどうかなと思うんですけど、『展覧会よりも作っているときの方が面白いよ』って、同じアトリエの子が言ってくれたことがあって。それを記録として残してもらえるなら」と小栗(左)。愛知県美術館 主任学芸員 塩津(右)とともに。

 

小栗沙弥子

Sayako Oguri

1978年岐阜県生まれ、岐阜県在住。愛知県立芸術大学美術学部で日本画を、研究生として油画を専攻し、版画の研究室に所属。ガムやチョコレートの包み紙として用いられている銀紙を細く割いて板に貼り付けるシリーズや、 日々の生活で出たり拾ったりした紙ゴミを組み合わせた立体物のシリーズは、いずれもコラージュの原理を用いている。「あいちトリエンナーレ 2010」に参加。13〜14年ポーラ美術振興財団在外研修員としてタイ滞在。19年レジデンスアーティストとしてブラジル滞在。

 

文/Re!na 編集/村瀬実希(MAISONETTE Inc.)
『AAC Journal』by 愛知芸術文化センター vol.122 より
※ 掲載内容は2024年11月15日(金)現在のものです。

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