2026/03/24
今、その道の向こうに 𠮷本作次
愛知県美術館 収蔵作家インタビュー
聞き手/愛知県美術館 主任学芸員 藤島美菜 撮影/千葉亜津子
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三つの距離で見る絵画
作風・構図は美意識のままに
──2024年に名古屋市美術館で開催された回顧展「𠮷本作次 絵画の道行き」では、約40年にわたる作品の変遷が印象的でした。
𠮷本 作風を貫く現代美術作家が多いなかで、自分でもめんどくさい作家だなと思いますが、根がすごく飽き性なんですよ。だからモットーは、飽きるまでやる、飽きたらやめる。小説家やミュージシャンはいろいろな表現に挑むじゃないですか。作品の多様化は認知されにくい面もありますが、逆に名が売れていないから好きに描けることもあって、それは究極のアマチュアリズム。美術はアマチュアの世界であるべきじゃないかとさえ思うくらいです。


──一方で、1980年代から現在までの作品を通して見ることで、一貫したものも感じられました。𠮷本さんが大事にされてきたことはありますか。
𠮷本 一番大事にしてきたのは、マチエール(絵肌の質感)とストローク(筆の大きな動き)ですね。また、「絵には三つの距離がある」という考え方が、自分の基本にあります。まず、遠くの正面から全体像を把握する距離。次に、絵と向かい合って印象を受け取る中間の距離。そして、ぐっと近づく距離。このすべてが決まる作品は、自分の中での名作です。だから学生の頃から、10m下がってもブレない絵であることと、30㎝まで寄ったときに見える筆あとや絵の具の感覚を意識してきました。日本人は掌文化というか、手のひらに収まる距離感で物事を捉えがちで、遠目で大きく絵を描くのが少し苦手だと思うんです。ヨーロッパでは、エル・グレコからルーベンス、ベラスケス、レンブラントへと続くストロークの王道があり、それらの絵画に惹かれてきました。構図は融通無碍な良さがあると思っていて、押しと引きを繰り返していくうちに、気づいたらこの構図になっていた、という感じです。音楽をつくっている感覚に近いかもしれません。計画やコンセプトが先に立ちすぎると、意外とつまらなくなる気がするんですよ。


──愛知県美術館が所蔵している1985年制作の《中断された眠り Ⅱ》についても教えてください。コミカルな人物は、どのように芽生えたのでしょうか。
𠮷本 自分にとって絵の原点は、漫画なんですよね。鉄腕アトム世代ですし、『(週刊少年)サンデー』や『マガジン』が創刊された時代(どちらも1959年創刊)に育っているので、漫画とテレビアニメが骨の髄まで染み込んでいます。僕としては当たり前に出てくるものなんですが、その要素を入れると、漫画チックだと軽んじられることも多かったです。

《中断された眠りⅡ》1985年 224.0×287.0cm 愛知県美術館蔵
──画面に布を貼り重ねた、強い物質感も見られます。
𠮷本 それは、目の前に布があったから使った、という感じです(笑)。ただ、同名シリーズの1枚目を描いたとき、フラットになりすぎる印象があり、もう少し絵の中に距離をつくりたかったのだと思います。薄い絵画の中に、30㎝くらいの箱のような空間を感じられるのが、自分の絵画空間です。油絵でそれだけの厚みを出すのは難しいですが、文楽の書き割りのように、1層目、2層目、3層目と空間が重なって感じられるようにしたくて。当時は、西洋美術では否定的に語られる浮き彫り的な要素も、絵画に必要だと思い、自分の美意識を追いかけてきました。

取材は、8年前に建設された愛知県内のアトリエにて。天井高を生かした開放感があり、高窓から自然光がたっぷり入る心地良い空間で、「自宅にも近く、制作を日課として集中できるようになった」と𠮷本。明里夫人と愛知県美術館美術課長の深山も加わり、𠮷本の博識で軽妙な芸術トークが弾んだ。

空間・時間を感じさせる
自分なりの東洋的な翻訳
──最近の作品も、フラットな画面の奥に空間が織り込まれているように感じます。
𠮷本 自分の好きなものは、結局まったく変わっていないんですよね。浪人時代、友だちに「水墨画みたいな油絵を描きたい」と伝えたら、「割と普通だな」と言われたことを覚えています。でも今考えると、全然普通じゃないですね(笑)。水墨画の世界観を油絵の技法と融合させるのは簡単ではないですし、今でもできていませんが、多分ずっとそれをやりたいんだと思います。絵画は8割が技術です。引き出しのカードをうまく組み立てなければ、そこにはたどり着けません。《瀧のある邑(むら)》のように、日本人のフラットな視覚表現で奥行きを出しながら、画面の中に「絵画という空間」ができればいいと思っています。

《瀧のある邑》2023―2025年 227.3×181.8cm 愛知県美術館蔵
──《瀧のある邑》は、未完で回顧展に出品された後、1年かけて完成された最新作ですね。
𠮷本 制作中に木炭の下書きを消そうとして軍手を使ったら、画面が毛羽立ってしまいました。紙やすりで削り始めたところ、前の状態に時間を舞い戻らせているような感覚が生まれたんです。未完成と完成については、ここ1〜2年ずっと考えています。ガウディ展を見て、未完成に対する覚悟はすごいと思いました。本当の未完成は遺作の1枚でしかないですよね。だから、展覧会の期日のように、他力本願の区切りも一つの方法かなと。自分が関心を持っていた北方ルネサンスや中国の絵画は、描き終わりがないので、いくらでも描き続けられますし、未完成の状態は、すべての絵画がどこか孕(はら)んでいるものです。特に東洋絵画には余白と言いますか、あえて描かない部分をつくることもできますが、自分はまだまだ余白が怖いんですよね。どんどん描きたくなってしまいます。

──中央には、那智の滝が描かれています。
𠮷本 歳を重ねて、日本人はやっぱり御神木やパワースポットに惹かれると感じます。何百年、何千年と水が流れ続けているのに、「不動の滝」と呼ばれる。そのパラドックスが好きなんです。今、今、今…を繰り返す永遠の現在という意味で、滝は象徴的な存在ですね。
──今後の制作について聞かせてください。
𠮷本 南画に挑戦しています。雪舟とセザンヌを突き混ぜたい。セザンヌの描く行為は現在のつぎはぎみたいなもので、東洋と西洋が分かれる以前の、「人間は本来こんな風にしか物を見られないよね」という地点に立ち返っている気がするんです。それは東洋絵画の余白にも通じます。そこを𠮷本の方法論でどうやれるのか。それが今、一番興味のあるところです。

𠮷本作次
Sakuji Yoshimoto
1959年岐阜県生まれ。1984年名古屋芸術大学美術学部絵画科卒業。1980年代に新表現主義の流れを汲む作風で注目され、ニューヨークで制作・発表を行う。1990年代以降、漫画的表現や東洋的な空間感覚を取り込み、絵画の可能性を探究し続けている。2020年令和元年度愛知県芸術文化選奨(文化賞 / 絵画)受賞。2024年名古屋市美術館で「𠮷本作次 絵画の道行き」開催。現在、三重県と愛知県を拠点に制作。名古屋芸術大学教授。

(左より)藤島(愛知県美術館 主任学芸員)、𠮷本、深山(愛知県美術館美術課長)。
編集・文/村瀬実希(MAISONETTE Inc.)
『AAC Journal』by 愛知芸術文化センター vol.127 より
※ 掲載内容は2026年3月24日(火)現在のものです。











