2025/12/25
虚(うつ)ろな陶造形に身体性を見出す 西條茜
愛知県美術館 収蔵作家インタビュー
聞き手/愛知県陶磁美術館 学芸員 入澤聖明 撮影/千葉亜津子
インタビューは国際芸術祭「あいち2025」愛知県陶磁美術館会場にて(11月30日[日]に終了)。
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身体のイメージを重ねた
生きているような陶造形
──愛知県美術館が所蔵する《甘い共鳴》は、見ていると思わず顔を近付けたくなるような作品です。触覚性を誘発するこのかたちは、どのように生まれたのでしょう。
西條 6つの金色の穴にいろいろな人がアクセスして、息を吹いたり声を出したりすることで共鳴させる作品です。作品の中で音が響く構造になっているのですが、作品自体も生物のようなかたちをしていて、物質であり人でもあるといったイメージで作っていきました。同時に、人と人とを媒介する存在になったらいいなと。例えば茶の湯の世界では、やきものが一つのコミュニケーションツールとして機能していますが、そういった歴史的・社会的なやきものの役割についても考えていました。制作を始めた2020年はコロナ禍で、なかなか人と接触できなかったり、距離をとらなきゃいけなかったりと、抑圧された状況でした。ちょうど身体とやきものとの関係性を考え始めていた時期にもあたり、パフォーマンスの要素を作品に取り込んでいこうとしていたので、窮屈さみたいなものを感じていて。そういう状況について、もう一度考えられるような作品にしたいなと意識して作ったものでもあります。

《甘い共鳴》2021年 愛知県美術館蔵
──天井から吊るす展示方法まで意識されたのですか。陶芸作品としては新しい見せ方の一つかと思います。
西條 作品は主に床の間や台の上に置かれることが多いですよね。決まりきった展示方法に対して疑問があって、もっと新しい見せ方ができないかなと。それから、重力のことも考えました。やきものの場合、重力を使って生まれるかたちがあって、釉薬の流れもそうです。重さのある作品が吊るされて紐がぴーんと張っていると、緊張感があるし、重力を感じたり意識したりする。いつものやきものとは違う見え方になるのではないでしょうか。
──吊るすことで質量を感じさせながら、独特の浮遊感があります。
西條 父親が医療関係の仕事をしていたこともあって、人間の身体のかたちや臓器などには、小さな頃から興味を持っていました。そこから作品に身体的なイメージを持たせるようになったのですが、それが吊るされていることで、身動きのできなさというか、不自由さみたいなことを感じる要素が生まれると思って。自分の体なんだけど自分の体じゃない、自由が効かないみたいなことって多々あるような気がしています。自分でもそう感じるし、そういった体験も含めて吊るすという展示方法になったのだと思います。

《シーシュポスの柘榴》(部分)2025年
その土地の記憶が息づく
作品とパフォーマンス
──国際芸術祭「あいち2025」では、国内有数のやきもの産地としての歴史がある瀬戸の愛知県陶磁美術館で《シーシュポスの柘榴(ざくろ)》を展示しました。作品を通して表現されたことは何ですか。
西條 今回は瀬戸でリサーチをしてから、リアリティを持って作れました。歴史などを調べていく中で、「ここは労働者の町だ」という印象を強く持ちました。かつて鉱山では人の手で土を掘って運び、成型して窯に入れて焼き、窯から出して売りに行くところまで、途方もない労働があったんだろうなと……。しかも、それを女性も加わってやっていた。私も普段、20kgくらいある粘土を何個も運んだりしているので、シンパシーを感じて、労働者の身体をテーマに据えました。作品を吊るす紐は荷造り用ロープのイメージです。瀬戸を拠点に活動した洋画家・北川民次が描いた労働者の絵もすごくいいんです。民次の絵にはよくザクロが出てくるのですが、民次のアトリエにも実際にザクロの木が植わっていました。ザクロには多産や繁栄といった意味があって、瀬戸は大量生産のやきもので繁栄してきた町であることとメタファーのように重なって、心臓とザクロの木をモチーフにした作品を展示の中心に。陶土が採れる山々や燃料になる薪の束、窯の煙突が連なった風景など、やきものの町の複合的なイメージからいくつもの作品が生まれました。労働者の動きとか、ものや人が移動していく軌跡を残したいという思いを込め、床には絨毯を敷き詰めて、実際に作品を動かした跡が会場に残るようにしました。それに付随した映像作品も展示しています。

《シーシュポスの柘榴》(部分)2025年
ザクロをモチーフにした作品の表面には、瀬戸と岐阜・瑞浪あたりで採れる土をひび割れるように焼き付けた。

《シーシュポスの柘榴》(部分)2025年

《シーシュポスの柘榴》(部分)2025年
木材の脚をつけたテーブルのような作品は、上空から見下ろした瀬戸の町をイメージ。上面や側面に空いた穴から息を吹き込むと音が鳴る。

《シーシュポスの柘榴》(部分)2025年
──瀬戸で滞在制作された作品もありますね。
西條 瀬戸では陶土だけでなく、ガラスの原料となる 珪砂(けいしゃ)も多く産出されているので、やきものとガラスを一緒にした作品を「瀬戸市新世紀工芸館」に協力していただいて制作しました。瀬戸は陶磁器やガラスの生産によって繁栄した一方、弊害として塵肺(じんぱい)を患った方々へのレクイエム的な作品です。

《シーシュポスの柘榴》(部分)2025年
「瀬戸市新世紀工芸館」が手掛けたガラスのパーツは、やきもの部分との親和性を持たせるために、何度も調整を重ねた。
──一連の作品を使ったパフォーマンスも行われました。
西條 今回は呼吸をして音を出す作品と運ぶ作品があり、それはみんなで労働と休息を繰り返し、人間の営みが成り立っているということ。日常の延長線上にあるパフォーマンスとして、9時半から17時まで起承転結はなく、その場の人にゆだねる挑戦をしました。やきものはそもそも触るものなので、作品に触られることは自然ですし、天井から吊るした作品がパフォーマンス後にしばらく揺れているのも面白いんです。

《シーシュポスの柘榴》(部分)2025年

《シーシュポスの柘榴》(部分)2025年

《シーシュポスの柘榴》(部分)2025年
──空間も含め、物と呼応しながらインスタレーションが組み上がっていました。
西條 やきものの生産は、たくさんの人々が協働して行われてきました。今は個人主義の時代と言われていますが、そういう時代があったことも作品に投影できたらと思いました。ただ、国際芸術祭「あいち2025」のテーマ「灰と薔薇のあいまに」は、人間中心の視点ではなく、地質学的な時間軸で世界を考察することを呼びかけていますよね。人間が労働するようになったのは、地球規模で考えたらすごく短い期間のことなのに、環境に大きな影響を与えてしまったとも考えられます。瀬戸でのリサーチで、やきものの原料になる陶土もどんどん少なくなっているという話を聞いて、自分の表現をあと何年続けられるのだろうと自覚的になり、考えるきっかけをいただきました。
西條茜
Akane Saijo
1989年兵庫県生まれ。2014年京都市立芸術大学大学院美術研究科修士課程工芸専攻陶磁器分野修了。在学中の2013年イギリス・ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートに交換留学。やきものや吹きガラスが内部に空洞を持つ性質に身体との親和性を見出し、有機的な形状の陶造形を手掛けるとともに、作品と身体が呼応するパフォーマンスを実践する。世界各地の窯元などに滞在し、地元の伝統と史実に基づいた作品も制作している。
文/徳久千恵 編集/村瀬実希(MAISONETTE Inc.)
『AAC Journal』by 愛知芸術文化センター vol.126 より
※ 掲載内容は2025年11月18日(火)現在のものです。










